「マナー違反」という言葉
よく見聞きする「マナー違反」という言葉。
どうしても違和感を覚えてしまうんです。
ずっとこの言葉に引っかかっていた理由。
それは、決してマナーは善悪の判断のための規定ではないから、です。
違反、という言葉の響きには”罰則”など重くのしかかる大きなものを感じてしまいます。
マナーとは規定・規則では無くて、相手や周りが不快にならないように配慮すること。
つまり「思い遣り」です。
食事には箸遣いなどの「作法」がありますが、これを出来ないからと「違反」とバッサリ。
とても悲しい気持ちになります。
作法は、長い歴史で築き上げられた「心が込められ、理にかなった美しいかたち」です。
そもそも作法も規則ではないはずです。
ですから違反という札を突き付けるって、私にはできません…。
「マナー違反しているか、していないか?」
そういった視点で自分の振る舞いを一挙手一投足考えてしまうと、疲れてしまうでしょう。
もしかすると、相手のこともそのような目で見てしまうかもしれませんね。
そもそもマナーには「違反」という言葉はないと考えて、その呪縛から解放されませんか?
素敵なことや人・行いに、真っすぐ目を向けられる心が生まれやすくなると思うのです。
このような気持ちがあれば、真のマナーある世界を気楽に味わえるようになるはずです。