無駄は駄目ではない

無駄はいらない。
そんな風潮がここ最近は特に根強くなってきたと感じます。

無駄なものは削除して、きれいさっぱり心身を身軽に。
私自身も軽やかで快適に過ごしたいと、見直しては処分するよう努めています。

ただし。
何でもかんでも「無駄」の一言で片づけられないこともある。
そうも思ってもいます。

「何を言っても無駄よ。」
「あいさつは、ただの無駄な一言だから言わない。」
何度か耳にしたこの言葉を解せない自分がいました。
相手が家族や大切な人だとしたら?
無駄、の一言で済ませられるでしょうか。
何とか思いを伝えたい、何とかしたい、と思うなら何が何でも挑むのでは?
そこには、譲れない価値・愛があるから。

「マナーなんて無駄よ。そんなの無くても生きていけるし。」
生き方は人それぞれですので、否定はいたしません。
でも、そこに豊かさという価値を感じている方も多くいらっしゃるのも事実。

何を無駄だと思うかは、本当に人それぞれです。
だからこそ自分で選択することが大切ですし、人に自分の価値を押し付けるのも違いますよね。
世の中にある物質や情報などから、選ぶ自由があることは幸せなことだと思っています。
無駄をすることから学ぶ価値もありませんか?
無駄な時間や行動をしてきた私は、それも良かったなと思っています。
失敗という一見無駄に思えることも、後になれば糧になっていますし。
時にはうるさく感じられたことも、後になってから無駄ではなくありがたかった、と。
無駄をしながら、自分を見つめ直していく中で生まれる余裕、というものもあるように感じます。

つまり、無駄って駄目ではないのですよね。
駄目ということは、もう使えないとか、後もないということ。
でも、無駄にはその方のその時の価値観によって必要性の有無が生まれるのですから。

先日、妹からプレゼントされた大好きなロイヤルコペンハーゲンのプレート。
包装紙を纏ったことで生まれる特別感。
包装紙も合理的な考え方にすれば、無駄にも思えるかもしれません。
でも、この特別感に贈り物の価値が生まれます。
あれ?箱の向きを気にせずに置いて撮っていたことに今気づきました(苦笑)
嬉しすぎて慌てるとこうなります…。

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