たましいのお散歩

ちょっぴり変な呟きだと思って下さいね~。
私、小さな頃から「まるで魂が抜けてしまった人間」かのようになる時間があります。
ボーっと1点を見つめ、周りの声は聞こえているようでいて全く頭に入ってこず。
「心ここにあらず」という表現が適切なのかもしれません。
そんな時、家族からは「またどこか散歩に行っていたでしょう!」と言われていました。
大人になってからその時間は随分減っていたのですが、最近その時間がちょくちょくあります。

なぜ今、子供の頃のような「たましいのお散歩(勝手に命名)」が復活したのだろう…。
不思議だったのですが、ここ最近特にSNSなどで多くの情報を目にする機会・時間が増えたからでは?
急速にあまりにも多くの情報が入ってくることで対処しきれず、私のへっぽこなスペックはフリーズしてしまった。
処理能力がマックスになり、ハタラケマセンと。
そう気づいて合点がいきました。
ボーっとすることで、自分の心を調整していたようです。

新しい情報や発見、人との出逢い、物との出逢いなどなど。
新しい何かが入ってくるには、自分に「隙間」が無いと始まらないように感じます。
物事に向き合って考える時「こうあらねば」と凝り固まってしまうと、もっと価値のある考えや物の真価を残念ながら見過ごしてしまいますね。
それに自分の心で受け止めたり考えるには、それなりのエネルギーが必要。
だからこそ、隙間は大切です。
私の心のどこかに「隙間」があれば話は別でしょうけれど、どうやら隙間が無くなっていたのかもしれません。

隙間や間って、距離感や時間、人との間など様々な意味がありますね。
その間があるからこそ、本質を感じ取ることもできます。
矢継ぎ早に食べ物を口に入れるより、一口ずつゆっくり噛んで味わうことでより味わいを深く感じたり、感謝が生まれます。
言葉をどのように表現しようと考える間があることで、より良い言葉を選び表現する丁寧な心も育ちます。
このように隙間は余裕を生み、そして本質を大切にできるようになります。
自分をベストな状態に保つためには取捨選択をしつつ、余力を残しておきたいなぁと私は思います。
そのために、自分にとって何が大切か?どのような時間を過ごしたいか?を問える「ご自愛精神」を!

先日、誕生日を迎えました。
何年ぶり?かのホールケーキをプレゼントでいただきました。
お誕生日ケーキ、いくつになっても嬉しいものです♡
みんな(3/7)に感謝の日、でした。
年齢と共に、自分というスペックにも不具合が生じることもありますが。
足し算や掛け算をしつつも、時にはボーっと「たましいの散歩」でもしながら引き算をして(笑)
快適な自分を築いていこうと新たに誓っております。

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